「大都市政策の系譜」第3回「コルビュジエの「輝ける都市」」

第3回「コルビュジエの「輝ける都市」」

一般社団法人大都市政策研究機構
大都市政策研究班

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 近代建築の巨匠 ル・コルビュジエ(Le Corbusier, 1887-1965)は、1920年代~30年代にかけて、「人口300万人の現代都市」、「ヴォアザン計画」、「輝ける都市」という一連の都市計画案を次々と発表した。「公園の中のタワー(Tower in Park)」という鮮烈な都市イメージを生み出したコルビュジエの計画案は、その後の世界の都市計画の理論に大きな影響を与えることになる。

「輝ける都市」を生み出した時代背景

 ハワードの「田園都市」構想では、ロンドンの将来について、田園都市が成功すればロンドンは人口減少し、劣悪なスラムが取り壊され再開発が促されるだろうと想定しているが、都市再建への具体的な道筋までは言及していない。その一方で、近代都市が抱える問題を、新たな技術と都市理論によって解決しようとする建築家たちの動きが現れだした。

 フランスの建築家トニー・ガルニエ(1869-1948)は、1917年に出版した「工業都市」(Une cité industrielle)で、都市を構成する機能を地域的に分離し、明確な都市構造を示した画期的な計画案を提示した。その計画は、人口35,000人からなり、都市間を結ぶ高速道路やインターチェンジで交差する幹線道路、鉄道などの交通インフラストラクチャーを設け、河に沿った低地に工業地域や水力発電所を配置する。台地に線状に広がる都市には、中心地区に行政・集会・レクリエーションなどの公共建築物を備え、その両側に住宅や学校を配置し、さらに高台には病院が置かれる。そして工業地域と都市は緑地帯で明確に分離するというものであった。

図:ガルニエの「工業都市」(全体構成図)
出所:ドーラ・ウィーベンソン著・松本篤訳『工業都市の誕生:
トニー・ガルニエとユートピア』井上書院, 1983

 また、イタリアの前衛芸術運動・未来派(Futurismo)を代表する建築家アントニオ・サンテリア(1888-1916)は、高層建築物の中に、鉄道・道路交通・空港ターミナルを結びつける多層交通システムを取り込んだ未来都市のイメージを描き、工業主義と巨大なメトロポリスの形態を積極的に賛美した。

図:サンテリアの「未来都市」ドローイング
出所:Wikipedia(英語版)

 こうした時代を背景に、コルビュジエは、ハワードの田園都市構想とは反対の立場で、都心に超高層建築物を建設し、緑地などのオープンスペースを確保する大都市論を提唱する。