「大都市政策の系譜」第2回「ハワードの田園都市」

第2回「ハワードの田園都市」

一般社団法人大都市政策研究機構
大都市政策研究班

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 エベネザー・ハワード(Ebenezer Howard, 1850-1928)が提唱した「田園都市」(Garden City)構想は、20世紀において最も影響力をもった都市計画の理念のひとつである。大都市の過密への対応として、都市と農村の長所を合わせた「田園都市」を建設するという発想は、世界各国の都市政策に大きな影響を与え、大都市周辺の近郊住宅地やニュータウンの建設につながり、その後の大ロンドン計画や日本の首都圏基本計画といった大都市圏政策へと継承・発展していったのである。

田園都市構想に至る時代背景

 18世紀後半から19世紀前半にかけてイギリスで起きた産業革命は、都市への工場進出と、農村から都市への人口流入を招き、低賃金の工場労働者が都市に集積した。急速な産業発展によって軽工業から重工業に移行すると、工場から排出される煤煙、騒音、産業廃棄物などの公害は、都市に深刻な環境悪化をもたらした。19世紀に入り、マンチェスター、バーギンガム、リバプールなどが工業都市として成長し、首都ロンドンも巨大都市として拡大を始めたが、同時に都市の人口過密、公害、住環境問題が深刻化した。

 この頃、空想社会主義者と呼ばれる社会改良家が、工場労働者らの住環境や労働問題の解決に向けて、モデル・タウンの提案を行うようになる。ロバート・オーウェン(1771-1858)の理想工業村ニュー・ラナーク、シャルル・フーリエ(1772-1837)のファランステール、J.S.バッキンガム(1786-1855)のヴィクトリアなどがそれである。これら社会改良家の提案は工場経営者らにも刺激を与え、チョコレート製造業者キャドバリーによるボーンヴィル(1879)、石鹸製造業者リーバー兄弟によるポート・サンライト(1886)などが建設されたが、これらは博愛的起業家が自らの工場で働く労働者のために良好な住宅と環境を提供する企業村(工場付属住宅都市)と言うべきものであった。

写真:当時のロンドンの状況(19世紀後半頃)
出所:Letchworth Garden City Heritage Foundation, “A brief history of Letchworth Garden City”(You Tube video), 2017