「大都市政策の系譜」第2回「ハワードの田園都市」(2)

田園都市構想の概要

 1898 年、ハワードは、『明日の田園都市』(Garden Cities of To-morrow)を出版し、新たな都市計画論を発表した(原題は『明日-真の改革にいたる平和的な道』(To-morrow: A Peaceful Path to Real Reform)、1902年に『明日の田園都市』に改題)。

2-1 基本理念:都市と農村の結合

 ハワードの中核となる理念は、「都市(Town)と農村(Country)の結合」である(原文の“Town and country must be married”から「都市と農村の結婚」とも翻訳される)。ハワードは、都市・農村という2つの「磁石」(すなわち魅力)の間で、人々はなぜ都市に引き付けられるかに着目した。都市は、雇用機会や高賃金、社会的交流、娯楽などの長所の一方、自然や住環境は汚染され、高家賃・高物価、孤独という問題がある。農村は、自然の美しさや森と草原、新鮮な空気、低家賃・低物価という長所の一方、雇用機会や社会的交流、娯楽に恵まれずインフラも整っていない。

 そこで、第3の選択肢として、双方の長所を兼ね備えた「田園都市」を建設すれば、人々はその磁石に引き寄せられ(すなわち自発的に都市を離れ)、田園都市での新たな暮らしや文化的社会を享受できるようになる。そして、大都市の過密、農村の荒廃という両方の問題解決につながると考えたのである【下図:3つの磁石】。

写真:エベネザー・ハワード
出所:The Garden City Collection Study Centre , Letchworth Garden City Heritage Foundation

 ハワードが提示した田園都市のモデル・プランでは、土地6000エーカー(2400ha)、居住者3万2000人を計画単位とし、市街地(1000エーカー)に3万人、これを取り囲む農村地帯(5000エーカー)に2000人が居住する【下図:田園都市の全体像】。


図:『明日の田園都市』の挿絵 - 3つの磁石(左)、田園都市の全体像(右)
出所:Ebenezer Howard, “Garden Cities of To-morrow”, 1902


 市街地の中心にある広場は公共施設(市役所、コンサートホール、劇場、図書館、博物館、病院等)で囲まれ、その外側に広大なセントラル・パーク(中央公園)とクリスタル・パレス(水晶宮)と呼ばれるガラス・アーケードで囲まれる。その周辺に住宅地とグランド・アベニュー(学校、教会等)が同心円状に配置され、さらに外側に各種の工場、倉庫が置かれる。コンパクトに収められた市街地は、基本的に徒歩で移動でき、都市間の移動や物資輸送は、市街地の最外周部を囲む環状鉄道によって行われる【右図:田園都市の中心部】。

 都市の成長に対しては、田園都市本来の美しさや健全性を保持するため、市街地拡張は行わずに、同じ田園都市を複数建設することで対処する。これら都市クラスターを都市間鉄道で結び、大都市に住むメリットと田園都市に住むメリットの両方を享受することのできる社会都市(Social Cities)を形成するのである【右図:社会都市のダイアグラム】。

図:『明日の田園都市』の挿絵 – 田園都市の中心部
中心の広場には公共施設が建ち並び、その外側にセントラル・パークとクリスタル・パレス(水晶宮)、周辺に住宅地とグランド・アベニューが同心円状に配置される。
出所:Ebenezer Howard, “Garden Cities of To-morrow”, 1902

2-2 ハワードが目指した事業スキームと社会システム

 こうした田園都市の物理的形態の提案はよく知られているが、ハワードの構想の真骨頂は、本書の大半を占める事業収益計算や社会システムの提案にある。

 その事業スキームは、田園都市建設のための土地購入資金については担保付債権の発行で調達し、土地全体を信託財産とする。田園都市の収入は、市街地と農村に入居する住民からの税・地代とし、田園都市の自治運営組織には債権利息と元利返済積立金を差し引いた金額が渡される。その余剰金をもとに、自治運営組織の運営委員会が道路・公園・学校などの公共施設の建設資金調達と維持・運営を行うものである。

 ハワードは、田園都市建設に伴う開発利益を地域社会に還元する手法を目指し、この都市経営が十分に可能なことを綿密な事業収益計算によって証明したのであった。

 また、田園都市建設の目的は、工場労働者や農業従事者を含むあらゆる職業従事者に雇用と市場を与え、生活と健康を向上することとし、その運営を担う自治運営組織は一種の自治体の如く描かれている。自治運営組織として、住民代表による運営委員会や中央評議会が設置され、さらに自治運営を支援する建築組合や地元銀行設立の提案もなされている。これら「協同的コミュニティ」のもとでの自立的な発展が目指されているのである。

 ハワードによれば、田園都市の構想は、アルフレッド・マーシャルらの組織的人口移住計画、ハーバード・スペンサーらの共同土地保有システム、J.S.バッキンガムの農地に囲まれたモデル・タウン計画の3つの計画理論を組み合わせたものとしているが、その発想の原点には、エドワード・ベラミーのユートピア小説『顧みれば』(Looking Backward: 2000—1887)に描かれた未来の「協同的コミュニティ」の姿に大いに啓発されたとされている。

 「都市と農村の結合」の価値を、最先端技術と循環型システムでさらに高めようとする数々の提案も注目される。市街地にある商業施設「クリスタル・パレス」は、今で言うショッピングモールに当たる。また、上下水道・雨水排水、電気・ガス・電信電話等の地下共同溝や郵便用気送管の提案もみられる。農村地帯には、自然のアメニティの中で療養施設や障がい者用施設を設置し、農林資源を生かした農業カレッジや工業高校などの建設も示されている。

 農村地帯で収穫された農業生産物を市街地に供給し、都市内の廃棄物を農地での肥料として再利用する提案も、今で言う地産地消や持続的循環型システムの発想であるが、消費地の集約や物流コストの軽減といった経済的メリットから、農業従事者の生活の安定・向上を支える観点で語られているのが興味深い。

 このようにハワードの田園都市の基本理念は、①都市と農村の結合(双方の長所の最大活用)、②都市の成長管理(市街地拡張の抑制と農村地帯の保全)、③地域還元型の都市経営(土地の公的保有と開発利益の地域社会還元)、④自立型の協同的コミュニティの形成、⑤最先端技術と循環型システムの融合、の5点で特徴づけられ、極めて広範囲な視点からの都市構想であったと言えよう。

図:『明日の田園都市』の挿絵
  – 社会都市(Social Cities)のダイアグラム
出所:Ebenezer Howard, “Garden Cities of To-morrow”, 1902
図:ガーデン・シティ・パイオニア・カンパニーの株式証明書(1903)
レッチワース建設にあたっては、株式会社を設立して社債を発行した。
出所:The Garden City Collection Study Centre ,
Letchworth Garden City Heritage Foundation