「大都市政策の系譜」第4回「近隣住区論とラドバーン」

第4回「近隣住区論とラドバーン」

一般社団法人大都市政策研究機構
大都市政策研究班

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 エベネザー・ハワードが提唱した「田園都市」の理念は、レッチワースの実現とともに、田園都市運動として国際的な広がりを持つようになる。アメリカでは、この田園都市運動をいち早く受け止め、20世紀初めに田園都市の建設を実践しようとする動きが現れ始めた。こうしたアメリカの田園都市運動を通じて生まれたクラレンス・アーサー・ペリー(Clarence Arthur Perry, 1872-1944)の「近隣住区論」(Neighborhood Unit)と、その実践モデルであるラドバーン(Radburn)開発は、その後の世界のニュータウン計画に大きな影響を及ぼすことになる。

アメリカへの田園都市運動の波及

1-1 フォレストヒルズ・ガーデンズ

 ニューヨーク市マンハッタンでは当時、テネメント(tenement)と呼ばれる過密で悲惨な民間賃貸住宅が大きな社会問題となっていた。

 1907年に、「アメリカ合衆国における社会状況と生活状況の改善」を目的にオリヴィア・セイジ(ラッセル・セイジ夫人)によって設立された慈善団体「ラッセル・セイジ財団」(Russell Sage Foundation)は、イギリスの田園都市運動に共鳴し、最初の事業としてニューヨーク市郊外に良質な住宅地を開発することを企画した。同財団は、セイジ財団住宅会社という別組織を設立し、ロングアイランドにフォレストヒルズ・ガーデンズ(Forest Hills Gardens, 1911年~, 約1,000戸)の開発に着手する。この開発は、労働者層に良好な環境の住宅供給が資本主義の経済システムでも可能なことを実証しようとするプロジェクトであった。敷地計画は緩やかな曲線道路を骨格として、住宅地には駅前の中心施設のほか、教会、クラブハウス、コミュニティ会館、テニスコートなどがオープンスペースと関連して配置され、「アメリカ最初の田園都市」と言われる。

 セイジ財団住宅会社は、この住宅地のコミュニティの運営のために住民協議会(Gardens Corporation)という近隣組合を設立し、組合は共有財産の管理、土地利用の規制、建築物の新増設の審査等のほか、公共施設の維持管理などの公共サービスも行い、自治組織としての役割を担った。

 1907年にラッセル・セイジ財団に研究員として招かれたペリーは、このフォレストヒルズ・ガーデンに10年にわたって居住し、ここでの居住体験をベースに近隣住区論を構想することになる。

図:フォレストヒルズ・ガーデンズ(初期の鳥観スケッチ)
出所:大坪明「ニューヨークのフォレストヒルズ・ガーデンズの開発-当初計画と経済的課題等に起因するその変更-」生活環境学研究、No.7、2019年

1-2 サニーサイド・ガーデンズ

 アメリカの田園都市運動のもう一つの流れを担ったのが、1923年に建築家のクラレンス・スタイン(Clarence Samuel Stein, 1882 -1975)とヘンリー・ライト(Henry Wright, 1878-1936)、社会評論家のルイス・マンフォード(Lewis Mumford, 1895-1990)らを中心に設立されたアメリカ地域計画協会(The Regional Planning Association of America)である。

 同団体は「都市の批評や研究、思想の協働的発展と普及、都市建設プロジェクトを通じて多様な人材を結合する」ことを目標に掲げ、アメリカでの田園都市の実現を目指した。スタインとライトはイギリスに渡り、2つの田園都市(レッチワース、ウェリン・ガーデン・シティ)とハムステッド・ガーデン・サバーブを訪れ、エベネザー・ハワードとレイモンド・アンウィン(レッチワースとハムステッド・ガーデン・サバーブの設計者)に面会し大きな啓示を受ける。

 1924年、実業家アレクサンダー・ピングを代表とする都市住宅会社(The City Housing Corporation)を設立し、スタインとライトの共同設計で、ニューヨーク市クイーンズにサニーサイド・ガーデンズ(Sunnyside Gardens, 1924~28, 約1,200戸)の建設に着手した。この開発では、当初目指していたスーパーブロック方式の採用は、都市計画の変更が認められず実現しなかったが、短冊状の街区の外周部に連続する住宅を建て、内部に共同の広い中庭を設けることで、子どもの遊び場や住民の憩いの場となるコミュニティ空間の創出を図る手法がとられた。

 都市住宅会社は、住民の組織化とコミュニティ育成にも力を注ぎ、包括的なコミュニティ運営組織としてサニーサイド・コミュニティ組合(Sunnyside Community Association)を設立し、各街区には共有庭を管理する不動産所有組合を設けた。これらの組織の活動を通じて住民相互の交流やコミュニティ意識の醸成という効果を生んでいる。

 サニーサイド・ガーデンズの成功により、その後、アメリカ地域計画協会グループは、ラドバーンで本格的な田園都市の建設に取り組むことになる。

図:サニーサイド・ガーデンズ全体図
出所:Sunnyside Gardens Preservation Alliance
図:サニーサイド・ガーデンズの街区平面図
(左:初年度の開発(コロニアルコート、1924年) 右:リンカーンコートとワシントンコート(1926年))

出所:Sunnyside Gardens Preservation Alliance