「大都市政策の系譜」第4回「近隣住区論とラドバーン」(2)

アーサー・ペリーの近隣住区論

 アーサー・ペリーの近隣住区論は、ラッセル・セイジ財団が1922年から7年間にわたって実施した「ニューヨーク大都市圏調査」(Regional Survey of New York and Its Environment)プロジェクトにおいて彼が担当した研究成果であり、1924年に公式発表され、1929年に同調査報告書の第7巻第1論文として収録された。

 ペリーは、大都市の人口集中によってもたらされた人間疎外やコミュニティの欠如といった心理的・社会的荒廃の問題解決のため、1910年代に盛んとなった「コミュニティ・センター運動」の理論的推進者として活動していた。この運動は、イギリス・ロンドンにおけるトインビー・ホールやシカゴにおけるジェーン・アダムスのハルハウスのような貧民街のセツルメント運動から発展したものであるが、セツルメント運動が大都市内部のスラムに住む貧困者を対象とした社会改良運動であったのに対し、コミュニティ・センター運動は都市周辺部や郊外の住宅地に住む中産階級を対象に、地区の小学校に公民館のようなセンター機能を包含することで住民活動や市民参加を促進させ、人間性の回復や近隣コミュニティの醸成を図ろうとする運動であった。そして、セイジ財団が開発したモデル・コミュニティであるフォレストヒルズ・ガーデンに居住した経験も、近隣住区論の構想に多大な刺激を与えた。

 ペリーの近隣住区論では、計画モデルを次のように設定している。

 小学校をコミュニティの核と位置づけ、小学校とその他の公共施設(図書館、コミュニティハウス、教会など)を、近隣住区の中心地または公共広場に適切に配置する。近隣住区の規模は、一つの小学校を必要とする人口規模5,000~6,000人、面積160エーカー(約65ha)と想定する。この場合、住区の中心から半径1/4マイル(400m)の範囲内にほとんどすべての住宅が含まれることになる。住区の境界は、自動車交通に対応して幅の広い幹線道路によって明確に分けるが、住区内の街路網は、通過交通を排除し、地域居住者の移動(歩行)の目的にかなうように放射型と円周型の街路の組み合わせやクル・ド・サック(袋小路)で構成する。住宅の近くに公園やレクリエーションのためのオープンスペースを設け、その規準は住区面積の10%以上とする。近隣店舗は近隣住区の周辺部の交通の接点に設ける。

 こうした考察を踏まえ、右に掲げる「近隣住区の原則」を提唱した。

図:近隣住区の原則
出所:コーネル大学図書館デジタル・コレクションズ
(Cornell University Library Digital Collections)

<近隣住区の原則>

  1.  規模―近隣住区の開発は、通常、小学校が1校必要な人口に対して住宅を供給するものであり、その実際の規模は人口密度に依存する。
  2.  境界―住区は通過交通の迂回を促すのに十分な幅員をもつ幹線道路で、周囲をすべて取り囲まなければならない。
  3.  オープンスペース―特定の近隣生活の要求を充たすために計画された小公園とレクリエーション・スペースの体系がなければならない。
  4.  公共施設用地―住区の範囲に応じたサービス領域をもつ学校その他の公共施設用地は、住区の中央部か公共広場のまわりに、適切にまとめられていなければならない。
  5.  地域の店舗―サービスする人口に応じた商店街地区を、1か所またはそれ以上つくり、住区の周辺、できれば交通の接点か隣の近隣住区の同じような場所の地区に配置すべきである。
  6.  地区内街路体系―住区には特別の街路体系がつくられなければならない。まず、各幹線道路は、予想発生交通量に見合ってつくられ、次に、住区内は、循環交通を促進し、通過交通を防ぐように、全体として設計された街路網が作られる。