首都圏基本計画のその後
ところが、首都圏、とりわけ東京都区部とその周辺への人口及び諸機能の集中は想定をはるかに超える速度で進行し、また地元市町村や土地所有者らの反対により近郊地帯が設定できなかったことで、グリーンベルト構想はもろくも崩れ去る。1965年の首都圏整備法改正により、近郊地帯が廃止され、代わりに「計画的に市街地を整備し、あわせて緑地の保全を図る区域」として近郊整備地帯をおおむね50㎞圏内に設定することとされた。この改正は、大都市の膨張発展をグリーンベルトで物理的に抑制する政策から、広域都市地域内で諸機能を分担配置する政策に転換したことを意味した。
この方針のもと、第2次首都圏基本計画(1968年)が策定される。以降、第3次首都圏計画(核都市の育成による多極構造の広域都市複合体の形成、1976年)、第4次首都圏基本計画(業務核都市等を中心とした自立都市圏の形成による多極多圏域型の地域構造の再構築、1986年)、第5次首都圏基本計画(自立性の高い地域を形成し、相互の機能分担と連携、交流を行う分散型ネットワーク構造の構築、1999年)と、時代の要請に応じてその内容に変更を加えながら、順次策定が続けられる。
(一般社団法人大都市政策研究機構 主任研究員 三宅 博史)
<参考文献>
越沢明『東京の都市計画』岩波新書,1991年
石田頼房編著『未完の東京計画』筑摩書房,1992年
三大都市圏政策形成史編集委員会編『三大都市圏政策形成史』ぎょうせい,2000年
石川幹子『都市と緑地-新しい都市環境の創造に向けて』岩波書店,2001年
石田頼房『日本近現代の都市計画の展開 1868-2003』自治体研究社,2004年
(公財)東京都都市づくり公社「東京の都市づくり通史
特設サイト」 https://tokyo-urbandesignhistory.jp/