「大都市政策の系譜」第5回「大ロンドン計画」

第5回「大ロンドン計画」

一般社団法人大都市政策研究機構
大都市政策研究班

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大都市の過密・拡大と地方の衰退

 第一次世界大戦後のイギリスでは、復員兵の都市流入が住宅不足を招き、国は民間や地方自治体が住宅供給を積極的に実施できるように補助金政策を導入した。この時に強調されたのはスラム・クリアランスと過密の緩和であったが、大都市郊外では無秩序な住宅開発が行われ、学校や病院、商店などの建設が追い付かないという現象が発生した。

 また、炭鉱、造船、織物業の中心地であったウェールズ、スコットランド、北部イングランドではこれら基幹産業が衰退し、1930年代前半からの世界大恐慌の影響もあって、若年労働者を中心に南部イングランドの工業地帯への大量移住をもたらした。これらの移住は、南部イングランドの大都市、とりわけロンドンにさらなる人口集中と都市拡大を進行させた。

 このように1920~30年代のイギリスでは、ロンドンにおいては都市の過密(人口の過度な集中、無秩序な都市の拡大、農地・田園地帯への浸食など)、地方においては産業の衰退(基幹産業の衰退、失業者の増大、若年層を中心とする労働力の流出など)という2つの問題が一気に浮上したのである。

アムステルダム国際都市計画会議-大都市圏計画の7原則

 田園都市運動の祖エネベザー・ハワードは、1898年の『明日の田園都市』において、人口3万2000人の田園都市の集合体としての人口25万人の「社会都市」(Social Cities)を順次建設すれば、「ロンドンは人口減少して再開発が促されるだろう」と想定した。

 初の田園都市であるレッチワースの設計を手掛け、ハワードの理念の継承者となったR. アンウィン(Raymond Unwin)は、この理念を発展させ、1910年のロンドン国際都市計画会議1)において、都市の無制限の成長を制限し、その輪郭を定める公園やオープンスペースを保全し、公園等のベルトによって分節された田園的郊外や田園都市の補充による大都市の拡張を提案した。

 また、レッチワースやウェリン・ガーデンシティ創設期からの若き協力者であるF. オズボーン(Sir Frederic James Osborn)、C.B. パーダム(Charles Benjamin Purdom)らは、1918年にハワードとともに「ニュー・タウンズメン(New Townsmen)」を結成し、第一次世界大戦後の住宅供給のため、政府の援助のもとで多数の田園都市を大都市周囲に建設することを提唱した。さらにパーダムは、「大都市に近接し、そこに一定のサービスを依存する田園都市」と定義する「衛星都市(Satellite Town)」の用語を登場させ、1920年にロンドン周囲に23の衛星都市の建設を提案した(右図)。

 これらアンウィン、パーダムの構想は、大都市ロンドンを中心に、いかに田園都市、衛星都市を配置させるかという大都市圏域の政策へと一歩進めたものであった。

図:C.B. パーダムによる「衛星都市群」の構想
出所:Peter Hall. et al., ”The Containment of Urban England, v.2.”, Allen and Unwin Ltd., Sage Publication, 1973

 田園都市運動の国際的普及と情報交流のため、1913年にハワードを会長とする国際田園都市・都市計画連合2)が設立され、国際都市計画会議が行われていたが(第一次世界大戦中は一時中断)、1924年7月にアムステルダムで開催された第8回国際都市計画会議(International Town Planning Conference Amsterdam 1924)で、その後の都市計画の潮流を位置づける重要な決議がなされた。かの有名な「大都市圏計画の7原則」である。

 会議には、イギリスからハワード、パーダム、アンウィン、アーバークロンビー、アメリカからトマス・アダムス、ヘンリー・ハバード、ドイツからフリッツ・シューマッハ、ロベルト・シュミット等の著名な専門家が参加し、日本からも内務省技師框木寛之、大阪府土木課長鈴木健三、愛知県都市計画地方委員会技師石川栄耀が出席している。

 会議のテーマは、第一に大都市問題における地域計画、第二に公園・パークシステム及びレクリエーションの議論であった。第一のテーマで、アンウィンは「地域計画の必要性」と題し、都市及び農村人口の適正分散、工業の適正配置、レクリエーション計画等について、自治体が将来計画を描き出すべきで、計画策定にあたり行政界を超えた取組が重要であるとした。パーダムは「地域計画における衛星都市の開発」と題し、過大都市対策として衛星都市群の建設を提案した。

 その他、アーバークロンビーからは地域計画の基礎調査についてのイギリスの実例、アダムスからはニューヨーク広域圏の地域計画、シューマッハからは大都市圏緑地政策、シュミットからはルール炭鉱地帯の地域計画などが報告されている。

 第二のテーマでは、ハバードがアメリカの広域パークシステムの現況を紹介し、フランスとオランダの実務担当者からオープンスペースや公園・レクリエーションの報告がされた。

 これら2日間にわたる報告と議論ののち、開催国オランダのハーグ市都市発展・住宅局長バッカー・シュットが起草し実行委員会による審議のうえ、総会において以下に掲げる7つの決議が全会一致で採択された3)



<アムステルダム国際都市計画会議「大都市圏計画の7原則」(要約)>

  1.  大都市の無制限の拡大は望ましくない。
  2.  過大な膨張を防止するため、多くの場合、衛星都市による分散が考慮されるべきである。
  3.  住宅の終わりのない海の形成を防ぐために、都市の既成市街地は、グリーンベルトで囲われることが望ましい。
  4.  自動車交通の急速な成長は、特別な考慮を必要とする。
  5.  大都市発展の地域計画が必要であり、2,3,4が第一に十分留意されなければならない。
  6.  地域計画は柔軟で、条件が変わるに従って、変更されなければならない。変更は、公共の利害から導き出される理由に基づいて為されなければならない。
  7.  都市及び地域の計画において、特定の用途に指定された土地が、その用途の土地となるよう担保する権限が与えられなければならない。

出所:要約の内容は、秋本福雄「イギリス及びアメリカにおける地域計画の誕生:都市計画家の交流に着目して」日本都市計画学会都市計画論文集,No.41-3,2006年10月を参照した。