東京大都市圏の発展段階の状況
このクラッセンの都市発展段階仮説を用いて、東京大都市圏の発展段階の状況を検証する。ここでは簡易的に、東京大都市圏の範囲を東京圏エリア(東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県)と同じと仮定し、中心都市は東京都区部(23区)、郊外地域は東京都区部を除く一都三県とする【図表2】。
高度経済成長前期に当たる1960年までは「都市化(タイプ2)」に位置している。東京大都市圏に向けて全国から大量の人口が流入し、中心都市に人口が集中し、郊外地域にも人口増加の波が広がる相対的集中の時期である。
1960年代前半には「郊外化(タイプ3)」に移行し、中心都市よりも郊外地域の人口が急増する相対的分散となる。都市基盤が未整備のまま人口集中が進行し、中心都市に過密問題(住宅不足、道路不足、交通問題、通勤ラッシュなど)が発生し、生活環境が悪化したことが要因である。また、中心都市に集中した若年層が家族形成期を迎え、郊外地域に移動し始めた時期とも重なる。
1960年代後半には「郊外化(タイプ4)」に移行し、ついに中心都市部で人口減少が見られるようになる。1960年代半ばから多摩ニュータウンをはじめ、郊外地域にニュータウンが多く建設され始めた時期とも符合し、日本列島改造ブームによる狂乱地価も中心都市から郊外地域への人口移動に拍車をかけた。
しかし、1973年のオイルショックによる高度経済成長期の終焉とともに、東京大都市圏への人口流入は急速に低下する。郊外化も収束に向かい、1980年代前半は「郊外化(タイプ3)」へいったん逆戻りする。
1985年のプラザ合意以降バブル経済が起こり、ふたたび東京大都市圏への人口流入が始まる。高度経済成長期には三大都市圏のいずれも転入超過であったが、この時期から東京圏だけが大幅な転入超過となる、いわゆる「東京一極集中」現象が始まるのが特徴である【図表3】。一方、中心都市ではバブル経済による地価高騰で人口が減少して「郊外化(タイプ4)」に移行し、この傾向は1990年代前半まで続く。
バブル経済が崩壊し地価が落ち着きを取り戻すと、ふたたび中心都市で人口が増加し、1990年代後半には「郊外化(タイプ3)」に逆戻りする。
そして、2000年以降、中心都市が郊外地域の人口増加率を上回る「都市化(タイプ2)」へとさらに逆戻りし、「都市回帰」とも呼ばれるこの傾向は現在まで続いている。
この東京大都市圏での発展段階状況の検証から、次の4点を確認することができよう。
- 東京大都市圏は、クラッセンが唱えた「都市化」→「郊外化」→「逆都市化」→「再都市化」という反時計回りの都市発展サイクルではなく、「都市化」から「郊外化」を経てふたたび「都市化」に逆戻りしている。
- すなわち、東京大都市圏では、1960~70年代に欧米の多くの大都市圏で起こったような都市圏全体で人口が減少する「逆都市化」は経験していない。これは、当時の日本での経済停滞(スタグフレーション)が軽度であったこと、東京と地方の顕著な経済格差から東京大都市圏に人口流入し続けたことによるものと考えられる。
- また、東京大都市圏では、欧米の大都市圏で発生した中心都市の衰退や荒廃(スラム化)の現象も経験していない。これは、欧米のような所得階層や人種による極端な住み分け等がなく、都市の再開発が絶えず進んだことによるものと考えられる。
- 1990年代後半からふたたび中心都市の人口増加が始まり、2000年以降は中心都市が郊外地域の人口増加率を上回る「都市化」に位置している。こうした人口動向の変化は、工業経済からグローバル情報経済への転換やそれにともなう社会構造の変化、タワーマンション等に象徴される都市空間の再編が密接に関連している、との指摘がある※2。
いずれにせよ東京大都市圏の人口は戦後一貫して増加し、将来にわたりその状態が続いていくようにも見える。しかし、次節に示すように、直近の人口動向を日本人・外国人別に分析してみると、違う様相が見えてくる。

出典:総務省「住民基本台帳人口移動報告(日本人移動者)」に基づき作成

出典:総務省「国勢調査報告」に基づき作成
注:国勢調査報告に基づく人口は各年10月1日時点である。%は5年間の増減率(1950年のみ1947年臨時調査からの増減率)
