「大都市政策の系譜」第5回「大ロンドン計画」(2)

大都市拡大の抑制のためのグリーンベルト

 国の公式な施策として、ロンドンの過密都市と田園都市との関係が初めて言及されたのは、1920年、保健省による「不健全地域委員会(The Committee on Unhealthy Areas)」の中間報告であった。チェンバレン(N. Chamberlain)を委員長とするこの委員会は、ロンドンの不健全・非衛生な過密地域をいかに解消するかを検討し、「住民が最善な状態で職場の近くに住むことができる、正しい意味での“田園都市”へ雇用や人間の移動を図るとともに、ロンドン地区の工業産業を制限すること」、すなわちロンドンの工場を制限し、人と職場を田園都市に分散するように勧告した。また、1935年に「田園都市と衛星都市に関する委員会(Committee on Garden Cities and Satellite Towns)」は、田園都市をモデルとした新都市の建設に政府は力を入れるべきと再び勧告した。これら一連の報告は、具体的な政策には直ちに反映されなかったが、田園都市あるいは衛星都市の建設が政治の場に登場したことを意味した。

 一方、アムステルダム国際都市計画会議が開催された1924年、ロンドン・カウンティ議会は、大ロンドン地域においてグリーンベルト導入を検討するための委員会の設置を議決した。議会の公文書において、初めてグリーンベルトという用語が使われたのである。

 1927年11月、保健大臣チェンバレンは、「グレーター・ロンドン地域計画委員会」(Greater London Regional Planning Committee)を招集し、衛星都市の設置、大都市圏と新しい市街地の間の農業地帯の位置などの検討を諮問した。この調査に技術顧問として参画したアンウィンは、1929年11月にグレーター・ロンドン地域計画第一次報告、1933年に第二次報告をまとめる。報告では、「農村地帯を背景に田園都市群を建設する」という理想案(右上図)とともに、現在実行可能な次善案として「可及的速やかなオープンスペースの確保」を提案した。この「次善案」とは、第一に「ロンドン外周への散発的拡大の遮断」、第二に「都市住民の運動場等のオープンスペース需要の充足」を目的とする、幅3~4kmの連続する環状緑地帯(グリーン・ガードル:green girdle)の計画案であった(右下図)。

 1934年、ロンドン・カウンティ議会で労働党が多数派を占めると、1935年にアンウィンが提案したグリーン・ガードル計画を実現に移すため、用地買収費の半分をカウンティが負担するものとした。この決定は大きな反響を呼び、1938年、この計画を国の政策として裏付ける法案が国会に提出され、グリーンベルト法(Green Belt Act)が成立した。この法律にンに基づいて買収された緑地は1万4,175 haにのぼった。

上図:R. アンウィンによる「田園都市群」の構想(理想案)
下図:R. アンウィンによる「グリーン・ガードル」計画案(次善案)

出所:Peter Hall. et al., ”The Containment of Urban England, v.2.”, Allen and Unwin Ltd., Sage Publication, 1973)